プロフィール
里村明衣子
| 3才より柔道を始め、中学時代に女子柔道部を設立し、県大会で優勝する。その頃、姉に新日本プロレス生観戦に連れて行かれ、プロレスの存在を知り「私がやりたいことは、これだ!」と直感。 以降プロレスラーを目指し、常に反対する両親の目に映る場所で独自のトレーニングを続けるという、実力行使で説得。 旗揚げ戦前の「GAEAJAPAN」の第一期オーディションを受け、トップ成績で合格。 中学卒業前であったが、特例で早期卒業し、年明け早々入門・入寮する。 |
経歴
- 【1995年】
- 女子プロレス史上最年少の15歳で、旗揚げ戦デビュー。
AAAW Jrタッグ初代王座獲得、Jrオールスター戦MVP獲得等、早くから活躍。 - 【1998年】
- 4月に行われた、第2回ハイスパート600トーナメントで優勝。
早くも、師匠の長与千種から後継者指名を受ける - 【1999年】
- 第1回プレミアムリーグ優勝。アジャコングの持つAAAWシングル王座に初挑戦。
- 【2000年】
- クラッシュ復活(クラッシュ2000)に伴い、チームクラッシュに加入。
9月、デビル雅美とのシングルマッチ。 - 【2001年】
- 旗揚げ6周年記念大会のメインでは、北斗晶とのケンカマッチを制す。
12月には、因縁のアジャコングからAAAWシングル王座を奪取。
生え抜き選手初の同タイトル戴冠であった。 - 【2002年】
- フリーの浜田文子参戦表明には激しい睨み合い。
4月の北斗晶引退試合では、北斗のパー トナーを務める。
6月、永島千佳世とのタイトル戦でAAAWシングル王座から転落するも、10月にはライバル浜田文子と組んでAAAWタッグ王座獲得。ド キュメント映画「ガイアガールズ」出演。 - 【2004年】
- 4月の旗揚げ10周年記念大会にて浜田文子を破り、再びAAAWシングル王座に就く。
6月には、アジャコングを相手に防衛するも、7月の名古屋大会を最後に、古傷である腰の椎間板ヘルニアの手術により長期欠場に入る。 - 【2005年】
- 待望の復帰戦は、3月にディファ有明で行われた長与千種プロデュース「エンプロ」での ミクスドタッグマッチで、新崎人生とタッグを組み、Mensテイオー・輝優優組と対戦。
4月の旗揚げ10周年記念大会では、前回の雪辱に燃えるアジャコン グの猛攻に破れ、まさかのAAAWシングル王座転落。
同じく4月10日、GAEAJAPAN解散興行が行われ、ついに師匠である、長与千種との一騎打ちが実現。20分間を越える激闘の末、勝利を掴む。この試合は、長与の引退試合であり、師匠への最高の恩返しであった。
翌5月、地元新潟で行われたみちのくプロレスの大会で、再び新崎人生をパートナーにサスケ・天野組とミクストタッグマッチで対戦し勝利した。
そして、この日を最後に「更なる1歩を踏み出すため」無期限の休養に入るはずであったが、7月に新崎人生と共にセンダイガールズプロレスリングを設立。 住まいを仙台に移し、旗揚げ戦に向け、自身のトレーニング、試合、選手育成、広報活動と一人で何役もこなす日々を送る。 - 【2006年】
- 仙台市民の期待を受け、7月9日、遂に仙台サンプラザホールで旗揚げ戦を開催。超満員2,498人を動員した。宿敵アジャコングとの一騎打ちが実現し、20分を超える激闘の末、勝利を掴んだ。
7月、TBC東北放送にて、旗揚げドキュメント「カウント2,9からの挑戦」(60分番組)が放送される
9月、NHK伊達者音楽闘技場にて審査員を務める。
12月よりKHB東日本放送ふるさとCM大賞にて審査員を務める。 TBCスポーツパラダイス内「GO!GO!仙女」コーナーに毎週出演。 また、中学、高校、企業にて「夢を追いかけて」と題して講演会に招かれる - 【2007年】
- 各団体、ユニットなどからあらゆる強豪選手を招き、仙女初のトーナメント『戦場WAR』を3大会にわたり開催。7月の決勝まで勝ち上がるも、浜田文子の前に破れ、優勝を逃す。
10月、日向あずみのランニングニーが右目直撃、試合後救急車にて病院に搬送。「右眼窩底骨折」により この年、2度の手術を受け、長期欠場を強いられる。 - 【2008年】
- 2月に3度目の手術を敢行。復帰に向けリハビリをこなす傍ら、新人の育成にこれまで以上に力を入れ、指導者として道場に通う日々が続く。
また、テレビやラジオ出演(KHB東日本放送ナマイキテレビにて、グルメリポート、温泉レポートに挑戦)他イベントなども精力的にこなし、試合以外での団体の活動に全力を注ぐ。
10月、復帰前にタイ・バンコクにてジムに住み込みで単身ムエタイ修行に行く。
10月26日、Zepp Sendaiにて387日ぶりに再びリングに立つ。 - 【2009年】
- 1月~KHB東日本放送CM大賞の審査員を務める
4月30日、後楽園ホール『YES WE CAN』トーナメントにて優勝。
メキシコテレビマッチ出権を獲得。
同じく4月、北警察署にて、一日交通課長を務める。
5月10日、 センダイガールズ・初の県外進出、新潟大会にて、メインイベントでアジャ・コングと10度目のシングル決戦で白星。
7月、四箇所目腰椎椎間板ヘルニアの発症・手術
10月・・リハビリ明けから、早々とムエタイ修行へ・・・(本人曰く、身体の状態から、人生で初めて引退がちらついたが、やってみないとわからない。とにかく自分の力を試してみる。) 帰国後、復帰を決意。
9月、KHB東日本放送『突撃!ナマイキテレビ』にて、グルメリポーター、旅リポーターを始める
10月~KHB東日本放送『突撃!ナマイキテレビ』内、レギュラーコーナー{温泉女}にて、若手を交えて交代で温泉レポート放送中。
12月20日 Zepp Sendai大会にて復帰。対戦相手は日向あずみ。怪我前と変わらぬ闘志とスピードを見せつけ、不屈の精神を証明した。 - 【2010年】
- 1月~ KHB東日本放送ふるさとCM大賞にて三回目の審査員を務める。
6月、メキシコ、AAATVマッチ出場
7月9日、Zepp Sendaiにて、第二回戦場トーナメント優勝。(決勝相手は田村欣子)
11月、里村の立案、企画により、第一回【今、語り合いたい女たち…Vol.1】女子プロレススペシャルトークLIVEを開催。
阿佐ヶ谷LOFT A史上最高の客入り動員を記録した。 - 【2011年】
- 1月、KHB東日本放送「ふるさとCM大賞」第4回目の審査員を務める。
3月、肉体改造を試み、12キロの減量に成功。
東日本大震災発生の直後にも関わらず、過酷なトレーニング、食事制限を乗り切った。
4月、ベースボールマガジン社発売の「かっこいいカラダ Vol.15」にて、見事な肉体が披露された。
(パーソナルトレーナーは、ゴールドジム仙台・岩谷徹)

7月、Zepp Sendai震災復興チャリティーマッチ試合終了後、新崎人生社長より、里村に代表が引き継がれることを発表される。
8月、「今、語り合いたい女たち・・・Vol.2」開催。
1日より、センダイガールズプロレスリングの代表に就任
10月、ラジオ冠番組 エフエムたいはく【里村明衣子の仙女魂】スタート
徳島・四国放送まつり内にて、東北を代表してセンダイガールズが試合
大阪大会初進出
10月27日、7団体、フリー選手、総勢50名以上の選手を集めて女子プロレス団体対抗「Frashトーナメント」を企画・開催。平日開催で1835人超満員札止めの動員を記録した。
10月27日、仙女初の東京進出決定。東京・後楽園ホール開催予定。
11月、宮城県の小中学校を対象に学校訪問。生徒に対して講演や試合のデモストレーションを行う
タイヤハウスBESTのCMに起用される

